2004年3月14日(日)京都外国語大学森田記念講堂で「京都・太秦の歴史と文化(蚕の社の伝統を巡って)」と題して、題1部・木嶋神社の湧き水復活を願う講演会、そして「木嶋神社の湧き水復活できるのか」をテーマに第2部・パネルディスカッションがひらかれました。


 

京都・太秦の歴史と文化

蚕の社の伝統を巡って)

京都大学名誉教授
上田正昭先生

上田正昭先生講演会 要旨

平成16年3月14日
京都外国語大学 森田記念講堂

 この度、森ケ東町の住民の皆さんが『まつり実行委員会』を中心に、木嶋座天照御霊神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)、古い読み方では、このしまにますあまてるみむすびじんじゃ、の森と泉を護ろうとの地域興しを始められ、昨年の秋に、私に講演の依頼を戴きました。 神社の森を護り、湧き水を復活させるという、地域の歴史と環境を考えて活動されている皆さんの活動に、賛同し、徴力ではありますが私で御役に立てればと、よろこんで御引き受け致した次第です。
 しかしながら昨年の暮れに、腹部大動脈瘤という、お腹の大動脈に瘤(こぶ)のできる病にかかり、私の友人で亡くなられた司馬遼太郎氏と同じ病気でもあり、手術したほうが良いとの診断をうけて、本年の1月14日に入院して1月20日に4時間半に及ぶ手術で瘤を切除し、大動脈を人工動脈に換えて戴きました。
 そんな事で2月の講演はすべて他の先生に代わって頂き、本日の講演には何としても馳せ参じたいと思い、療養に専念しておりましたが、お陰様で術後の回復も担当医が驚く程の順調な回復で、3月からは執筆活動や講演を再開し、本日は、復帰後3回目の講演になります。本日は木嶋座天照御霊神社の神服宮司さんはじめ、地域住民の皆さんが『木嶋神社の湧き水を復活させる会』を結成して蚕の社の池を復活させ森を護っていこうと熱心に取り組んで居られる姿に、私は心より敬意を表して馳せ参じた次第であります。
 月日の経つのは早いもので21世紀に入り早くも3年3ケ月の月日が過ぎ去りました。今日、御参会の皆様も20世紀とはどのような時代であったのか、それぞれの御立場で色んな感慨をお持ちの事と思いますが、私は20世紀において忘れてはならない3つの事があると思います。
 一つは第一次世界大戦、第二次世界大戦という名称に象徴されるように20世紀前半には世界全体が巻き込まれる、大きな戦争が二度にわたって行われ、核兵器の登場によって18世紀、19世紀の戦争とは比較にならない程の悲惨な被害を人類が経験した、まさに戦争で始まった戦争の世紀であったと言えます。 
21世紀はいかにして戦争を無くし、平和な地球を築いて行くかという事が私達に課せられた大きな宿題であると思います。
 二つ目は本日のテーマとも関連する事でもありますが、20世紀は自然破壊と地球汚染が進み、人類の生存を脅かし、著しく深刻な、まさに危機的状況になってしまったと言う事であります。
 三つ目はパレスチナ・イスラエルの紛争に象徴される宗教の対立や民族の対立による深刻な状況であります。本来、宗教は神仏の前に人々を救済する事がその教義の基本であるはずでありますが、これらの宗教や民族の対立によって2500万以上の人々が祖国を追われ、飢えに苦しみ、今、こうして御話ししている間にも多くの人々が亡くなっているのです。まさに人権受難の時代が20世紀でありました。人間が人間として生きていく平和な環境を護り、いかにして人権の文化を築いて行くのかが21世紀の私達に課せられた大きな宿題であると思います。
 現実には、2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センター、ペンタゴンがテロによって破壊され、それを契機にアフガニスタンで戦争が始まり、現在もイラク戦争が続いているのが現状であります。
 1972年、国連によって初めて、スウェーデンのストックホルムで地球環境をいかに護って行くかについて地球環境会議が行われました。しかしながら32年経った現在でも自然の破壊は一向に止まる事がありません。特に唯一信教であるキリスト教、イスラム教、ユダヤ教等の教義を巡る矛盾と対立を政治が悪用する事で争いが絶えないのであります。
 現在、国連には199ケ国、2,000を越える民族が加盟していますが、先日もスペインで列車爆破テロがありましたが、スペイン政府はこれをスペイン北部のバスク民族の仕業であると見ているようですが、スペインのような国でも民族の対立、紛争は未だ終っていないのが現状であります。
 人間はもう一度、もっと謙虚にならなくてはなりません。
 人という文字は一方の字画がもう一方の字画を支えて人という字になります。人間は自分一人で生きていると考えるのは自由ですが、これは大きな間違いであります。人はそれぞれが家族や、友人や、知人や、多くの人に支えられて生きているのであり、人間は人間だけで生きているのではないのです。自然の中で生きているのです。
 昭和10年に亡くなった、寺田寅彦先生、物理学者であり夏目漱石とも親交があり、数々の立派な文学作品も遣された学者でありますが、先生の最後の論文に「西洋の学問は自然と対決し、自然を克服して発展してきた。日本の学問は自然と調和、自然に順応する智恵を蓄えて発展してきた。」とあり、私はこれを学生時代に読んで非常に感動しました。今もこれは名言であると思って居ります。
 学問をしている一人の人間としてお叱りを受るかも知れませんが、今迄の日本の学問は欧米中心の「サイエンス」をベースにして発展してきたと思いますし、現在もそうであります。私はもう少しアジアの思想、学問。アジアの信仰に世界の多くが目を向けるべきであると思います。
 宗教学の先生の言われるには、日本の宗教の根源は縄文、弥生の時代に、あらゆる物に命を認め、山には山の、川には川の、草には草の、そして鳥にも人にも万有の物に生命があるとする信仰、私はこれを『万有生命信仰』と言っております。
 ところが、ヨーロッパではこれを最も遅れているアニミズム(Animism)として野蛮未開な信仰であるとされてきました。最も優れた信仰は唯一信教であるというのが、欧米の宗教学の基本的な考えであります。
私はキリスト教やイスラム教、ユダヤ教等の唯一信教を批判するつもりは毛頭ありませんが、政治がその教義を悪用して戦争の口実にするのは全て唯一信教である事も事実なのであります。
 東洋ではAnimism(アニミズム)(※)、唯一絶対の神ではなく、あらゆる物に神があり、鎮守の森の信仰にみられるように、森には森の神が居られ、みだりに森の木を伐ると祟りがあると恐れられて来ましたが、それを原始的で幼稚な考えであると軽蔑してきた、欧米の宗教学的考えは根本的に間違っていると思います。
Animismこそが自然の中に生きる人間の本来あるベき姿であると思うのであります。さいわいにもこの傾向は世界的にも認められつつあります。
 木嶋座天照御霊神社の事を蚕の社(かいこのやしろ)というのは、神社本殿の東側に養蚕(ようさん)神社があり、保食神(うけもちのかみ)が祠られている事から俗に蚕の社と呼ばれているのであります。その蚕の社の池、元糺の池の水が十数年前より干上がってしまったと言うことであります。
 40年程以前に当時の蜷川知事によって京都府文化財保護基金が創設され、その事業の一つとして京都における文化財で余り知られていないが、歴史的に重要な神社仏閣を学術調査致しました。私が責任者として、この蚕の社の調査をしましたが、その時現在の宮司さんの先代からいろいろと教えて頂いた事を覚えております。養蚕(こかい)神社の前の灯籠に磐座の宮(いわくらのみや)と書いてありました。磐座とは神が宿る神聖なる場所であるという意味であり、池には清水がみち満ちており、その中に有名な三角の鳥居が建っておりました。
 鳥居の八角形の柱には享保2年、西暦1831年に、当時の宮司であった神服何某によって修復された事が刻まれております。享保年間といえば八代将軍徳川吉宗の時代、享保の改革が行われた時代で、もつと解りやすく言えばテレビの「暴れん坊将軍」の時代であります。実際には将軍が馬に乗って町火消しの家に出入りすること等、ありえない事なのですが、とにかく享保年間に再建されているということは、それよりはるか以前からこの三角の鳥居はあったという事であります。この三角の鳥居の柱は遠目には分りませんが、八角形になっており、京都の三つの珍しい鳥居の中に教えられております。他の一つは北野天神の参道の左にある伴神社の鳥居で、石鳥居の台座が蓮弁、仏教で使う蓮の模様をしております。もう一つは京都御所の中にある厳島神社の鳥居(笠木、島木共に唐破風造り)であります。これを京都の三鳥居と言われております。
 この、有名な三角鳥居のある元糺の池が干上がってしまっている。それを復活させようと森ケ東町の皆さんが頑張っておられるわけですが、大体このような運動は2年から3年で消えてしまうのが普通でありますが、『まつり実行委員会』が出来てから約20年、その間、町内の大型ゴミを集めたり、コンサートを開催したり、町内のいろんな行事に関わってきておられる。これは大変な事であると思います。
 昨年は第三回世界水フォーラムが開かれました。これは3年毎に第一回はモロッコで、第二回はオランダで開かれ、2003年、初めてアジアの日本で開催され、それも京都、滋賀、大阪と淀川水系の都市を中心に水フォーラムが開かれたわけであります。その前年より森ケ東町の皆さんが『木嶋神社の湧き水を復活させる会』を結成して、元糺の池の湧き水を復活させようと取り組んでおられるわけであります。
 何故、元糺の池の水が涸れてしまつたのか、その原因は色々考えられるのですが、一つは都市開発による周囲の自然破壊、下水道の整備によって地下水脈が断たれてしまった事、天神川の護岸工事、天神川は元々、天井川だったのですが度々の洪水に遭った為、深く掘り下げて、コンクリー卜で護岸してしまった為、透水性が無くなつた等々、多くの原因があります。
 下鴨神社(鴨御祖神社)[カモミオヤジンジャ]は上賀茂神社(賀茂別雷神社)[カモワケイカヅチジンジャ]の祭神である賀茂別雷神(カモワケイカヅチノカミ)の母神、玉依日売命(タマヨリヒメノミコト)を祭詞しており、古事記では御祖の神(ミオヤノミコ卜)といえば母親の事を指すので、御祖の神で男神はいないのであります。古代より日本語で親といえば母を指すのです。オヤオヤと思われるかも知れませんが、例えば出雲の御祖神社と言えば、大国主命(オオクニヌシノミコト)の母親である刺国若比売(サシクニワカヒメ)が祭祠されております。従って賀茂社では母が下鴨神社で、子供が上賀茂神社という事になります。元々賀茂社は一つであったものが、8世紀中頃に上と下に分けられました。これは文献からも明らかなことであります。
 下鴨神社には糺の森がありますが、蚕の社の池を元糺の池と呼ぶ事から、下鴨神社の元は木嶋神社であるとの伝承がありますが、その事実は未だ謎とされております。
 鴨氏族と秦氏族との深い関わりが下鴨神社と木鴫神社の伝承を作ったのではないかと考えております。糺という字義は一つは只洲、鴨川と高野川との間に出来た三角洲であるという説、又、清らかな水が湧くことから直澄(ただすみ)という説、玉依日売の事をヒタスノ姫神ということから、タダス等々の諸説がありますが、少なくとも平安時代には偽りを糺す、糺弾する、襟を糺すという意味で用いられていたようです。これは源氏物語(※)の須麻の巻や、枕草子(※)の中で紫武部も清少納言も、偽りを糺すという使い方をしている事でも明らかであります。
 木嶋神社の歴史は非常に古く、続日本紀、これは文武天皇から桓武天皇の延暦10年迄の事歴を記した古文書ですが、その大宝元年(701)4月3日の項に「山背國葛野郡月読神、樺井神、木島神、波都賀志神等、神稲自今以後給中臣氏」(ヤマシロノク二カドノコオリ ツキヨミノカミ、カバイノカミ、コノシマノカミ、ハズカシノカミナドノイネヲジコンイコウナカトミシニタマエ)要するに神前に供えた稲穂を種籾としてこれより後は神々に仕える中臣氏に与えよ、という詔勅が出た事が記されております。これは大変重要な事が書かれておる訳でありまして、この中の月読神社は松尾大社の境外摂社であり、樺井神は現在の城陽市にあり綴喜郡であります。木島神社は葛野郡、波都賀志神社は現在の伏見区、元は乙訓郡羽束師にあり高皇産霊神(タカミムスビノミコト)を祭神とした由緒ある神社でありますが、これらの記述を論拠に学習院大学の黛 弘道先生は乙訓郡、綴喜郡は少なくとも大宝元年以前は葛野郡であったという説をたてられました。乙訓郡、綴喜郡は大宝2年以降に出来たものであるという事であります。しかし、持統天皇の藤原宮跡の発掘現場から発掘された木簡に「弟國(おとくに)という文字が書いてある事が解り、この仮説は崩壊したのであります。
 普通、郡をコオリとは読めません。コオリは朝鮮語であるからです。私は何でも朝鮮から渡来したと考える事には反対ですが、古代語には朝鮮語がたくさん入っております。日本語でも例えば郡山、蒲郡、郡奉行等の読み方をしますし、母の事を朝鮮語では「オモニ」と言う事は御存知の方もあると思いますが、日本でも母屋と書いて「オモヤ」と読みます。母をオモと読むわけです。郡をコオリと読むのも朝鮮における坪の制、コオリの制という行政単位がそのまま日本に人ってきた結果であると思います。従って乙訓郡は大宝元年以前にあったと考えられるわけであります。
 木嶋神社も大宝元年以前に祠られていた事になりますから、少くとも1303年以上の歴史がある事を私達に教えてくれるのであります。
 一昨日、明日香村の石舞台の近くで、蘇我馬子の邸宅跡が発掘されました。蘇我馬子の事を「島の大臣」と言いますが、彼は屋敷の中に方形の池を造り、その中に島を造って住んだといわれ、日本庭園の歴史で最も古い史料であり、日本書紀の推古24年5月の条に馬子が屋敷に池を造った事が書かれております。   
 木嶋神社の社名も、周りに池があり、そして島がありその島に森があったことがその由来であると言われております。
梁塵秘抄(後白河天皇が当時の今様[流行歌]や古歌を集めて編纂させた物)の中に『金の御嶽は一天下、金剛蔵王釈迦弥勒、稲荷も八幡も木島も、人の参らぬ時ぞ無き』という今様が載っております。昔は木嶋神社も、稲荷大社や八幡の岩清水八幡宮と並んで今様に歌われる程、参詣人で賑わった様子が解ります。 このように当時の多くの人々に信仰され、賑わった神社であつたというような事を地元の人が知らない。地域の人が地域の事を知らない。これが現実であります。地域の人が地域の歴史を知り、その素晴らしさを知る。私はローカルと言う事が最も大切であると思います。ローカルである事がグローバルなのです。 私はこれをグローカルと名付け、今では世界語として普及しつつあります。
 グローバル、国際化が喧しく叫ばれておりますが、その前に地域を知る事が最も重要な事であります。地域を知らずして何がグローバルか、己を知らない者は何も発信出来ないのであります。
 中国や朝鮮が日本を批判する事は自由でありますが、間違った批判は毅然と否定するべきです。それには先ず、自分を、地域を知る事が大切です。自分を知らなければ批判に対応する事も出来ません。
そんな意味からも森ケ東町の皆さんが、永年、地域の為に、木嶋神社を中心に環境を護り、湧水の問題に一生懸命に取り組んで来られた事は非常に大切な事なのです。
 梁塵秘抄に『太秦の薬師がもとヘ行く麿を、しきりにとどむる木嶋の神』という歌が載っております。太秦という地名は日本書紀の雄略15年の条に由来するもので、秦酒造(はたのさすきみ)が絹を朝廷にうず高く積み上げた事から太、ウズ、珍しい、優れた、勝れた。ウズモリマサという事から太秦と呼ぶようになったと言われております。この歌の意味、私は長い間解らなかったのですが、これは薬師とは広隆寺の本尊である薬師如来を指し、実は遊女の事を意味したのであります。広隆寺の御住職からお叱りをうけるかも知れませんが、あの近辺に遊里があったと思われます。昔は伊勢参りにかこつけて物見遊山の旅をして遊郭ヘ足をはこぶ人が多かったように、広隆寺に参詣すると偽って遊女の元へ遊びに行くのを木嶋の神が止めたという意味なのです。
 広隆寺は秦河勝(はたのかわかつ)によって建立されたと言われておりますが、このハタという語源、意味するところは何であろうかと言う事が問題であります。西陣織りでも使う織機の機からハタ、梵語の絹(パタ)からハタ、サンスクリット語のハタ、渡来人は海を渡って来たから朝鮮語の海(パタ)のハタ。等々いろんな説がありますが、私はこれらは全て間違いであると考えます。  1145年、高麗の学者で金富較(きんふしき)という人が著した古典、『三国史記』の地理史の中に慶尚南道に[波旦県](ハタン)という村があるという事歴が記載されている事から、鮎貝房之進(あゆがいふさのしん)という独学で古代朝鮮の地理史を研究した人が「秦一族は新羅の波旦県が、その出身地ではないか」いう説を立てられました。鮎貝先生は明治から大正の学者ですから、私は御会いした事はありませんが、この説が一番説得力があるのではないかと思うのであります。
 1988年、韓国の慶尚北道蔚珍郡鳳坪(けいしょうほくどううるちんぐんほうへい)で新羅時代の古碑が出土しました。私もこの報を聞いて直ぐに現地に見に行ったのですが、この碑は高さが3m程もある大きな物で、甲辰(524)という建立された時代が刻まれており、牛を神に供える事や、奴卑(ぬひ)[奴隷]の事等が書いてあり、6世紀前半の新羅の律令制を考える上で貴重な史料でありますが、その中『波旦』という地名が書いてありました。秦氏は新羅から渡来して来たと私も思いますが、元々は中国から新羅へ移り、さらに日本ヘ渡来して来たというのが正しいでしょう。
 広隆寺は秦河勝、松尾大社は元々土地の信仰の対象であったのですが、秦都理(はたのとり)が大宝元年(701)に社殿を造営した事から木嶋神社も秦氏を抜いては考えられないのであります。
森ケ東町、町名が良いですねぇ。木嶋の森の東にある町・・・、
 我が国の国土の4分の3は山であり、山の3分の2は森林であります。森があれば川がある、川があれば海があり、水が運んだ養分でプランクトンが豊富な海では魚が採れる。漁師は『森は海の恋人』と呼びます。森を育てるのには水が要ります。水が涸れれば川が涸れる、川が涸れれば海には魚は住めなくなる。
 今、蚕の社の水が涸れ、森にも勢いが無くなってきているそうであります。最近の木嶋神社の調査によれば境内から平安時代の泉の跡が確認されております。水が涸れるという事は人権の問題でもあります。水が無くなる事は、その地域の命が無くなると言う事なのです。湧き水を復活させようという事は、防災面だけでなく、人間が自然と共に、自然と調和して暮らすと言う事なのです。
 森ケ東町の住民の皆さんがなさっている活動は、先程私が申し上げました、21世紀の私達に課せられた、平和と人権と自然、地球環境を護るという宿題にもかなう真に立派な活動であると思います。どうか今後とも、地道でも着実に自信をもつて、この活動に取り組んで行って戴く事を願って私の講演を終ります。
御静聴有り難う御座いました。


※源氏物語
『憂き世をば 今ぞ別るるとどまらむ 名をば糺の神にまかせて』

※枕草子
『いかにして いかに知らまし偽りを 空に糺の神なかりせば』

※Animism(アニミズム)
宗教の原始形態の一つで、世界のすべての事物に霊魂や精神が存在する
と信じる心的状態。

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