2004年3月14日(日)京都外国語大学森田記念講堂で「京都・太秦の歴史と文化(蚕の社の伝統を巡って)」と題して、題1部・木嶋神社の湧き水復活を願う講演会、そして「木嶋神社の湧き水復活できるのか」をテーマに第2部・パネルディスカッションがひらかれました。

パネルディスカッション

木嶋神社の湧き水を復活できるのか

コーディネーター
大窪健之氏
京都大学大学院地球環境学堂助教授
京都市環境防災水利整備計画研究会委員長

パネラー
神服一夫氏 木嶋座天照御魂神社〔蚕ノ社〕宮司
佐藤 洋氏 消防局防災対策室防災対策課
植田 修氏 木嶋神社の湧き水を復活させる会
松井 恵氏 京都環境アクションネットワーク代表

主 催 木嶋神社の湧き水を復活させる会
共 催 京都環境アクションネットワーク


●大窪 まず最初にこのパネルディスカッションの趣旨を簡単に説明させていただきたいと思います。すでに皆様ご承知のように木嶋神社の池の水が十数年前から減り始め、今や完全に涸渇(こかつ)しております。神社の森には特に大木が入っているわけですが、地下水の水位が下がり枯れ始めている木もあり、そのような現状から一昨年、地元町内会や森ケ東町の住民の有志の皆さんによって「木嶋神社の湧き水を復活させる会」が結成されました。特に京都の中でも大変歴史が深いこの地域におきまして、神社の環境が窮地(きゅうち)に立たされており、神事(しんじ)等もままならない状況になっているということでございます。「湧き水を復活させる会」の皆さんは蚕ノ社の湧き水の復活を目指し、長い歴史の中でつちか培われてきた地域の文化や素晴らしい環境を子供たちに遺(のこ)して行くべく活動されているわけです。
 この度、上田正昭先生から太秦(うずまさ)の地域や蚕ノ社(かいこのやしろ)の文化や歴史について様々な貴重なお話をうかがいましたので、このパネルディスカッションでは、基調や理念よりも湧き水を復活させるためには現実的にどのようにすればよいか、についてお話頂き、具体的な方法や道筋を考える一つのきっかけになればと考えております。それではパネラーの方にお話をうかがいたいと思いますがお一人8分位でお願いします。まずはじめに木嶋座天照御魂神社19代目の宮司、で「社団法人このしま保育園」理事長でいらっしゃいます神服宮司から神社のかつての様子や、湧き水の涸れた時期等についておうかがいしたいと思います。
●神服
  本日は大勢のお集まりをいただき有難うございます。木嶋神社の宮司をしております神服でございます。先程、上田先生から大変貴重なお話をいただき、その中で伏見稲荷も石清水八幡(いわしみずはちまん)も木嶋神社も参らぬ人がないと言われていた、というお話をうかがいましたが、木嶋神社も、かつては現在の数倍の境内で、かなりの敷地と壮麗(そうれい)な社殿があったと聞いております。これらも承久の乱(じょうきゅうのらん)の時、いわゆる後鳥羽上皇の朝廷方と鎌倉幕府との戦いですがその時に、京都の街が焼失したそうですが、そのときに木嶋神社も広隆寺もすべ焼けてしまったといわれております。
 広隆寺も昔は現在とは別の場所にあったと聞いております。したがって木嶋神社も、伏見稲荷や石清水八幡に匹敵する規模の神社であったことを頭に入れていただいた上で、お参りしていただければと思います。
 今日のテーマである「元糺ノ池」でございますが、元々はただすのいけ糺ノ池と呼ばれていたそうですが、名前を下鴨神社に移してからは元糺ノ池と呼ばれるようになりました。したがって木嶋神社は下鴨神社よりも古いということになります。         
 この会場においでの皆様で30歳代以上の方は、元糺ノ池のコンコンと湧き出る冷たい水で遊ばれた記憶がおありの事と思います。私も当時小学生の頃であったと思いますが、普通、池は水が溜(た)まっている状態なのですけれど元糺ノ池は見ていても水が流れているのが分かる程水量が豊富でして、父に内緒で裸になって池の水で泳いでいると、上(かみ)から下(しも)の方へどんどん、身体が流されてしまうといった状態でした。
 その水が境内を通って神社の前の森ヶ前町にある野菜の洗い場の水を満たしておりました。 近隣の農家の方がその洗い場で、収穫した野菜を洗っておられましたが、その水も大変豊富でございました。ところが、ご承知のように1985年、昭和60年頃か、あるいはそれより2.3年前からその水が涸れ始めました。先程の上田先生のお話にもございましたように、1300年以上の昔からコンコンと湧きつづけてきた泉が、ある日突然涸れ始めたということでございます。断定は出来ませんが丁度その当時、太秦地区一帯に下水道工事で相当深く掘って下水管が埋設(まいせつ)されたものと思われます。その工事が進んで森ヶ東町近辺の工事が始まったのと殆んど同時に湧き水が涸れ始めました。後程お話もあろうかと思いますが、元糺ノ池の水はそんなに深くはなく比較的浅い地層の水脈から湧いている状況です。
 京都の地下水は愛宕山や北山から南に向かって市中を流れていると聞いております。木嶋神社の北側あた辺りの工事が始まり4〜5m掘られていると思われますが、湧き水の水脈は地下2〜3mですので地下水脈は断たれるわけで、工事の始まるのと湧き水の止まりだしたのが殆んど同時であると言う事は、下水道工事が原因ではないかと思われるのでございます。勿論、先程のお話にもございましたように天神川の掘削(くっさく)工事もその原因の一つに考えられますし、河川の三面張(さんめんば)りや宅地化や道路の舗装による地面の透水性(とうすいせい)が無くなった事などが原因で、京都の地下水の水位そのものが下がっていると言う事もあろうかと思います。
 1300年以上湧き続けてきた水がそれと同時に涸れ始め、いまや完全に止まってしまったと言う事です。おそらく皆様は「そんなはずはない、お祭りにも池の水はあるし、土用の丑(どようのうし)には足を浸けに行った」とおっしゃるかもしれませんが、実は森の中に井戸を掘って、お正月や、祭礼、土用の丑の神事の際にポンプを使って動力で水を汲み上げているのです。 神事の一ヶ月前から、皆様方の為にポンプで水揚(みずあ)げして、きれいな水が流れるようにしているのでして、その水でも非常に冷たい水が出ており、昔は1分と足をつけていられない程冷たい水が自然に湧いていたのですが、その頃のように、その水を何とか復活出来ないものかと、近隣の方達が立ち上がって頂いた訳でございます。復活させるのにはどのような方法があるのか話し合っていただきたいと思っております。
この問題は単に神社の水が涸れたという事では無く、環境破壊に対する一つの警鐘(けいしょう)として受け止めるべきではないかと思います。今迄、利便性(りべんせい)と生活向上の為、開発を進められてきましたが、気がつけば環境破壊が進んで、その一つがこのような形で出てきたものと思っております。これを機に、森の湧き水を何とか復活させると言う事で何かとお知恵とご協力を拝借出来ればと願っております。

●大窪  有難うございました。以前は付近で採れた野菜を洗える程、きれいで豊富な水が湧いていたという事です。しかし現状は湧き水は涸れてしまっていて、伝統文化を守るために神事の際にはポンプで井戸水を汲み上げて、池に水を入れている状態だそうです。地域の文化をまも護る為、また今まで受け継がれてきた素晴らしい環境を後世に引き継いで行く為、湧き水を復活させる運動を続けておられます「木嶋神社の湧き水を復活させる会」の植田さんにお話をうかが伺いたいと思います。植田さんは森ヶ東町自治会の元会長で現在「まつり実行委員会」「木嶋神社の湧き水を復活させる会」の役員をなさっております。それでは植田さんよろしくお願いします。

●植田 こんにちは、本日はお天気もよく何かとご予定のお有りにもかか関わらず、この様に大勢お集まりをいただきまして有難うございます。ただ今ご紹介をいただきました植田でございます。同じうえだでも先程講演を頂きました上田先生とは、字が一つ違うだけで随分差のあるもんだな、と少々ひがんだ心境でおります。本日は、「湧き水を復活させる会」で私が飛び抜けてとし歳がいっているという、ただ唯それだけの理由で、パネラー(討論者)として、こうして壇上(だんじょう)に上がらせられている訳でございます。「湧き水を復活させる会」は森ヶ東町の30歳代から40歳代の人達を中心に20名程がまったく任意に、選ばれた訳でも、強制された訳でも無く、自ら進んでこの活動に参加しようという人達の集まりでございます。母体となる「まつり実行委員会」としては20年程になりますが、「湧き水を復活させる会」は昨年の世界水フォーラムへの参加をけいき契機に、松井さんをはじめ多くの方たちのご指導、ご協力を得て急速に活動が進んだというのが実情でございます。私たちがこの活動を始める契機となったのは、日頃町内の関連行事である、地蔵盆やお祭りを通しての子供たちとの付き合いの中で、私たちが教えられてきた、地域の伝統行事、それと並んで、都会の中に原始のままの姿で鬱蒼(うっそう)と茂る森があり、その中に泉がコンコンと湧いている、まさにオアシスのような自然環境が町内の中にある。この素晴らしい環境を子供たちや次世代に引き継いでいかなければならない責務(せきむ)が私達にあるのではないか、という話になり、それが活動を始めるキッカケになったのです。
 昭和60年頃、湧き水が涸れだし、とうとう完全に涸れてしまった。これは大変だ、森の木も元気が無い、何とか湧き水を再びよみがえらせる事が出来ないものだろうか、という悲願にも近い夢をみんなで持ったわけでございます。どなたに聞いても「湧き水を復活させる?そんなバカな事、出来るわけないやないか」というご意見がほと殆んどだったのですが、そんな否定的なご意見を聞けば聞く程、会のメンバーのきずな絆が段々と強くなってきたという嬉しい現象もございました。
 先程の宮司さんのお話にもございましたように、森の湧き水が涸れてしまった原因は色々と考えられますが、これが原因だと決め付けることは中々むずか難しいことですし、また余り意味の無いことです。今、市街化した所を元の農地に戻す事は不可能な事ですし、都市基盤(としきばん)の整備によって快適で利便性(りべんせい)の高い生活環境を享受(きょうじゅ)してきたのも他ならぬ私達自身ですし、先程の上田先生のお話にもございましたように、自然と文明とをうま旨く協生(きょうせい)させていくという事が私達に課せられた課題ではないかと思う訳です。
 原因を追求してそれを糾弾(きゅうだん)したところで何の進歩にもなりません。そこで私達は皆でいろんな考えを持ち寄りまして次のような方法を考えてみました。ご承知のように右京区は50年程前はその殆どが農地でございまして、先人の方達はその農地の灌漑排水(かんがいはいすい)に非常に苦労なさったという経緯がございます。 昭和23年に、嵯峨野から淀までの1300haの土地を灌漑排水する為の農業用水路を建設する大きな事業が京都府によって始められ、昭和40年に完成しております。皮肉なことに、工事のなか半ば、昭和三十年代の高度経済成長と人口の増加に伴う、都市周辺部の宅地化が急速に進んで参りまして、折角出来た農業用水路が、今では暗渠化(あんきょか)したり、カラ堀になってしまったりしながらも住宅の合い間をぬって残っているのは皆様ご承知の通り、事実でございます。私達の木嶋神社の西側にも御室川(おむろがわ)から取水された農業用水路が、トウトウと流れております。現在は分流式(ぶんりゅうしき)の下水道の完備によって、生活用水が流れ込んでおりませんし、農業用水としても殆んど使われておりませんので、以前に比べて比較的きれいな水が流れております。その水をもう一度地下へ戻せないものか、と言う事でいろんな方にご相談申し上げると、圧水方式(あっすいほうしき)という技術で表流水(ひょうりゅうすい)を地下に戻す技術があるということでございまして、現実に下京区の修徳(しゅうとく)公園では圧水方式による表流水の地下への還元(かんげん)が、実験的に行われております。 水を命の資源として地下にリサイクルすると言う事は非常に意義のあることですし、その農業用水を地下7m位まである砂礫層(しゃれきそう)にストレーナーという、簡単に言えば穴の開いたパイプでございますが、それを地中に入れて水を落とし込めば、砂礫層に水が貯水されて、やがては土の中でじょうか浄化された水が湧き水となって湧き出るのではないかと考えました。
 鑿泉(さくせん)業者の方にご相談申し上げましたところ、快くご協力を戴き、無償(むしょう)で専門家による現地調査をしていただき、神社の地下水脈は未だ涸れてはいないが、地表に湧き出すほどの水量が無くなっており、今なら何とか復活させることは可能なのではないか、との結論を調査報告書とともに戴いております。勿論、このような事業は結論的には行政の力を借りなければ出来ないことですが、私たちは行政に対して、自分達の住んでいる地域がこうやからこうしてくれ、ああしてくれといった従来の要求型民主主義に組するものではありませんし、やはり自分たちの地域はこうあるべきだ、後世の為にはこうあるべきだ、と自分達で出来ることは出来る限りやって、その上で行政に提案させていただくという、提案型民主主義を標榜(ひょうぼう)するものであります。
 「湧き水を復活させる会」としてはそのような基本姿勢で行政とかか関わっているつもりですし、幸い、行政の方もご理解戴き、防災水利構想の中に私達の提案をと採り上げていただくと言う事でございますので私達も張り切っているところでございます。唯(ただ)、地下水は川のように流れているものではなく、一年にわず僅かしか浸透(しんとう)しておりませんので、いつ何時湧き水が復活するのかは断定出来ませんが、私達の世代で出来なければ次の世代で、又次の世代でという長い期間スパンでやって行きたいと思っております。
 50年かけて涸らしてしまった水を、1年や2年で復活出来るとは考えてもおりませんが、先ず始めることが大切、と言う事で私達も一生懸命に、行政の方、又関係各位に真剣にお取り組みいただくようお願いしているところでございますが、今後ともより多くの地域の皆様と関係各位の一層のご理解とご協力をお願い致したいと思います。

●大窪  どうも有難うございました。これまで、地域の伝統行事や、オアシスのような環境を次世代に伝えて行きたい、と活動を始められ、現在では物理的方法で、木嶋神社の湧き水を復活させることが出来ないものか、と言うアイデアの一つとしてご提案を戴きました。 続いて松井 恵様、松井様は「京都環境アクションネットワーク」の代表でいらっしゃいまして、京都の地下水の現状や地域の環境について色々と活動していらっしゃいます。あわ併せて京都市環境防災水利整備計画研究会、京都商業振興ワーキング部会の委員でもいらっしゃいます。

●松井  今日は皆さん、「京都環境アクションネットワーク」という、環境問題をどのように考えて行動していくかという会の代表をさせて頂いております。私達の会としての日は浅いのですが、私個人としては28年近く水についての活動をして来ております。
 以前は川という川が汚れて、泡(あわ)立ち、ドブ川のにお臭いがして魚も住めない死んだ川が、全国いたる所にございました。私たちは一番川をよご汚す主婦の立場に立って、まず私達の生活を見直すことから始めようと考え、行動してきました。昨年3月の世界水フォーラムでも、川や湖、上下水道の事をやってきましたが、殆んどの会で地下水の事について勉強したり調査したり、真剣に取り組んでいるところがございませんでした。
 京都の街を振り返って見ますに、地下水を抜いては考えられません。京都には折角(せっかく)、世界中の水の学者であるとか、運動家がたくさん居られます。京都の街と地下水とがどのような関わりを持ってきたのか、京都の方に、地下水についてもう一度考え直して見て頂きたい、という活動をしてまいりました。
 京都の地下水の現状はどうなっているのか、皆さんご存知でしょうか? 京都の文化は茶道、華道、そして食文化ではお豆腐(とうふ)、湯葉(ゆば)、お菓子、伝統文化では京友禅、焼き物、塗り物などどれも水に関連したものばかりで、特に地下水に依存(いぞん)しているものがたくさんございます。京都の文化に一番貢献(こうけん)してきた功労者は実は地下水ではなかったのかと思うわけです。それでは地下水が、豆腐、料理、お茶、お菓子などに、どのように影響しているのかご存知でしょうか、京都のお豆腐はおい美味しい、ということで 全国から食べに来られますが、豆腐等は京都の地下水なればこそ、原料の大豆を湯がいてつぶ潰した時、大豆の香りを引き立たせ、ふっくらとした豆腐にしあげることが出来ます。小豆を煮たときも独特の風味を引き出します。 京友禅にしても京都の地下水だからこそあのようにきれいに発色する、とくにピンクの色がきれいに発色するそうですが、これは京都の地下水で無いと出来ません。同じ友禅でも京友禅と加賀友禅とでは色調が違います。同じみやざき宮崎ゆうぜん友禅さい斎によってそうあん創案された友禅でも京都と金沢の水によってこのように色合いが違う、加賀友禅は青や、緑色が特に美しい、これは金沢の水だからこそ発色するものだそうです。 京都の友禅は京都の地下水だからこそ美しく発色して出来たものなのです。料理についても一緒のことがいえます、地下水は一年を通じて一定の温度を保っていますし、特に夏は水道水は臭くなったりします。昨年あたりから急に地下水ブームがおこり、行列を作って美味しい地下水をく汲みに行かれるという状況が起こりました。しかし京都の地下水は全市的に出にくくなっております。そこで昨年、私たちは、これは調べなければ、と思い9回にわた亘って京都の地下水について調査を致しましたところ、今、井戸水が出ているところは鴨川の西側、北は丸太町、南は五条、西は烏丸まで、市街の中心部ではいま未だ井戸水はひかくてき比較的豊富に出ております。それは鴨川の伏流水(ふくりゅう)、川の底や河川敷(かせんしき)の側壁(そくへき)から川の水が浸透(しんとう)して伏流水となるわけですが、その伏流水の流れていることによって美味しい井戸水として湧き出ていると思われます。鴨川の水は良いといわれておりますが、京都の人々が川の水を飲んできた歴史はございません。一時的に、江戸時代以降、友禅流しをする為に、川をきれいにする事が成されましたが、度重(たびかさ)なる戦争の歴史もありますし、基本的に、京都の人にとって川はゴミ捨て場であって、カワヤといいますように、川を汚すのが当たり前で、川は下水道という考えが強かったようです。
 何故、地下水は出なくなったのでしょうか、市街地がアスファルトでおお覆われて、土が出ているのは、京都御所や二条城、神社やお寺、そして学校くらいのもので、殆んどが水を浸透しなくなったことや、川が三面張りになって、地下に浸透しない為、伏流水が無くなったこと。また友禅染を川で洗うことが禁止された為、地下水で洗うようになったり、水冷式の冷房に利用するため、昭和30年代以降、地下水の汲み上げが激しくなり、多いときには一軒の井戸屋さんで、1年に百本以上の井戸が掘られたり、地下鉄や下水道の工事によって地下水脈が分断された事も、地下水を涸らす原因になっていると思われます。下鴨神社でも実は湧き水は殆んど出ておりません。蚕ノ社と同じ、あし足つ浸けの行われる、みたらし祭の水もポンプで汲み上げられているのが実情でございます。今もう一度京都の地下水を見直すちょうど丁度良い時期に来ているのではないでしょうか、私達の文化を育てて来た京の地下水を考え直す時期に来ていると思います。

●大窪  有難うございました。京都における地下水の現状と、今迄、京都の食文化をささ支えて来た非常に重要な役割を果たしてきたという事と、5月の調査では鴨川の周辺部では地下水が比較的出ているが、透水性のない環境のその他の地域では、下水道の整備などにより、地下水が涸れてきているという事で、これを何とかしなければ、というお話でした。
続いて佐藤様にお話をうかがいたいと思います。佐藤様は京都市消防局防災対策室、主に地震 対策にたずさ携わっておられ、環境防災水利整備計画の担当でいらっしゃいます。

●佐藤 京都市消防局防災対策室の佐藤と申します。よろしくお願いします。日頃は消防局のために何かとご協力を戴き有難うございます。今、3人の方から湧き水の復活、地下水についてお話がありましたが、私は地震防災対策という観点から水の大切さと言う事をお話させて頂きたいと思います。阪神淡路大震災においては皆様も未だ記憶に新しいところでございますが、この時、水が無いと言う事で大変深刻な問題が発生しました。勿論水の無いことによって、発生した火災が消し止められず、それによる焼死者を多数出しました。 また火事がおさ収まっても非難生活の水が無い、飲料水も無い、水洗トイレの水も流せない為、衛生面での問題も発生しました。医療の面で見ますと、通常の医療行為もさることながら、特に人工透析(じんこうとうせき)を受けておられる患者さんは大変で、透析には大量の水が必要なことから水が無ければたちまち患者さんの生命に関わりますので、大阪の病院まで搬送(はんそう)したり大変大きな問題になりました。当時の避難生活の困難さは想像を超えるものでした。
 日頃は水道の蛇口をひねれば簡単に水が出るという観念しか私達にはありませんが、大地震という非常事態になれば水が無いということが我々に、どれ程深刻な影響を与えるかと言う事を強く感じました。
 それでは京都市ではあのような地震は起きないのか、皆さんご承知のムキもあるかもしれませんが、昨年10月30日に、京都市であのような地震が起こればどのような状況になるのか、これを第三次被害想定と称して、どのようにして地震が発生するのか、その結果どのような被害が出るのかを予測、発表をしてみました。
 京都周辺には花折断層(はなおりだんそう)をはじめ西山断層、かたぎはら樫原断層、桃山断層、みずお水尾断層、こうみょうじ光明寺断層など多くの活断層があり、それらが動くことによって都市直下型の大地震が発生することが予測されます。特に京都大学周辺から北に向かって、サバ街道沿いにある花折断層は中でも最も大きな断層で、この断層の活動によって地震が発生した場合、市内では96件の火災が発生し、そのうち右京区では10件の火災が発生し、水が無くて消火活動が出来ないとすれば、750むね棟が焼失すると予測されます。また全市内で75%の世帯で断水し、復旧には一ヵ月半、つまり水が元の状態に復活するまで一月半は何らかの形で水を確保しなければならないと言う事です。
 このような中で京都市はぼうさい防災すいり水利こうそう構想を平成13年にまとめました。この構想の概要(がいよう)は人間の体は水で出来ていると言う事から「命を護(まも)る、水を護る」を理念として、
・水が安全な街をささ支える。
・水が豊かな暮らしをはぐく育む。
・水が市民のわ輪を広げる。 の三点を、水を確保するキーワードにしております。水は災害の起こったときに急に手に入るものではありません。災害のとき、必要な水は普段からじょうび常備しておかなければ確保出来ません。その為には普段から水に親しむ環境をつくらなければなりません。今回、環境防災水利と言う事で、普段は親水(しんすい)の形で、植木に水をやったり、子供が水遊びをしたりする環境の為に、使える水として準備し、災害時には防災に利用出来る。環境防災水利計画はその理念を具体化する為に、平成14年、15年に研究会を立ち上げ、大窪先生や松井さんにも委員としてご参加頂いているところです。普段は親水、災害時には防災、と言う事で具体的には三箇所の検討地域、東山の高台寺(こうだいじ)周辺や、高瀬川の四条から五条、永松(ながまつ)学区になりますが、そこの防災水利、そして二条城の南側の堀の水を防災用水としての活用を検討しております。これらをどのように整備すれば、どのように活用できるか、それらを整理分類して、全市的に必要な水はいくらか、整備して確保される水はいくらか、その過不足(かふそく)はどうか等など、全市的に仮に大震災で断水しても、身近に水が得られる環境を作るため、研究会で検討しているところです。先程、植田さんの方からお話がありましたが、蚕ノ社周辺地区の水利構想におきましても、私がここに居れば京都市が何かしてくれるのではないかというふうに思われるむきも居られるかもしれませんが、私もそうであれば大変嬉しいのですが、私が進めておりますのは今後身近(みぢか)に得られる水の環境を、どう整備していくのかという事例研究ケーススタディー的に調査させていただき、これを全市的に広げればどういう結果が得られるのか、標本サンプル的に検討の手段としての対象地域として蚕ノ社周辺地域を調べさせて頂き、神服宮司や地域の皆さんに色々と御教示(ごきょうじ)を戴いたところであり、今後更に検討を進めて参りたい、という状況です。

●大窪  有難うございました。 最後に私の方からも何かお話しなければいけないのですが、私は、今佐藤様からご紹介のありましたように現在、京都市環境防災水利整備計画研究会の座長をつとめさせて頂いておりまして、その整備計画のなかで蚕ノ社地域の水と地域を一つの検討候補地区として上げさせて頂いているわけです。具体的には三箇所の候補地域を上げておりまして、それを通じてメニュー(一覧表)を作る、地域の文化財産を盛り上げ、立ち上げて、元々その地域にあるものを一寸(ちょっと)した工夫で活用出来ないものかとメニューを整備する作業をしております。その中で蚕ノ社周辺地域を調査させていただきメニューが出来、整備された暁には全市的モデルケースとして活用していきたいと考えており、そのような経緯で関わらせて頂いております。
 調査に際しては地域の皆さんに色々とご協力を戴きました事を心よりお礼申し上げます。本日のパネルディスカッションの主旨が、「蚕ノ社の地域とこれから」と言う事で、蚕ノ社の湧き水を復活させる具体的なみちすじ道筋が見つけることが出来ればと思っております。先程、上田先生から蚕ノ社の歴史と文化についてお話しいただき、この地域の歴史的、文化的重要性と共に水に関する重要性をまも護り続けていかねばならないという理念をお話し戴きましたので、パネルディスカッションでは、それを具体化する道筋をつける方向を考えるキッカケにすることが使命ではないかと思います。それではそれぞれのパネラーの方に、司会の方から質問をさせて頂き、その中から今後どう言う道筋があるのかヒントを得られれば思います。 神服様、現在では人工的にポンプで水を汲み上げておられると言う事ですが、そのあたりの具体的な問題点について何かございましたら伺いたいと思います。

●神服  司会者からのご質問ですが、元糺ノ池は現在は涸れた状態ですので、土用の丑や秋の神興祭(しんこうさい)、お正月など人の集まられる時、特に夏場、土用の丑からは3・4ヵ月間ポンプで水を汲み上げております。池の水に自由に足を浸けて、体を糺(ただ)す、心を糺す、体を清(きよ)める、そういう場として皆様に利用していただいて居る訳です。しかしこれには、動力で水を汲み上げておりますので、年間に相当な経費がかかります。これらについては、どこからの補助も一切出ておりません。すべて神社が工面(くめん)して皆様の為に賄(まかな)っているという実情でございます。
 この様な事では本来の糺ノ池の役割をはた果せてはおりません。こういったことで何とか、以前のように自然に水を湧かすことが出来ないものか、と言う事で今後色々と検討して頂く。
 そういったことから今日こうした講演会を開催していただいたわけでございます。先程も下水道工事の話が出ましたが、私は下水道工事と湧き水の涸れたタイミングが一致することから、どうしても原因をその工事に求めざるを得ないのです。恐らく神社の北側の下水管を埋設する工事をしたときには大量の地下水が湧いて出たはず筈でございます。
 そんな状態であっても、当時は地下水についてそれが地域にどんな意味を持ち、どんな影響を与えてきたのか、といったことを考えるよりも生活の利便性のみを追い求め、開発開発で、その結果については全然(ぜんぜん)関心を持たなかった。そのツケが現在のような状態を招いたのだと思います。当時、この大量の湧き水が出た結果について、それをどう処理するのか、それが地域にどんな影響をもたらすのかを真剣に考え、十分に調査していれば、あるいは配慮(はいりょ)していれば、現在のように、湧き水が涸れてしまうと言った事は無かったのではないかと思います。
 今、環境問題が大きく取り上げられクローズアップされてきて始めて云える事ですが、先程、植田さんが言っておられたように、多少長い時間掛かっても、後世に伝えていく為にも何とか湧き水を復活させることを考えて行きたいと思っております。また災害時の水源としても十分利用できますし、その意味においても復活させたいのです。当面、なぜ何故水脈が切れてしまったのか、その水脈はどこへ行ってしまったのか、それを突き止めれば、あるいはそこに活路(かつろ)が見出せるのではないか、と思っております。

●大窪  有難うございました。やはり開発には事前の十分な調査が必要であると思います。今の人工的な汲み上げには限界がある。持続性が無く、課題もある。そんな中で開発には十分な事前調査が必要であるというごしてき指摘を受けたわけですけれども、この辺について、すで既に5月にいろんな地域で地下水の調査をされておられます松井様の方から水脈のことについて、またこれからの開発について、どのような計画をしていき、その注意するべき点等ございましたらお願いします。

●松井 京都の井戸は浅井戸(あさいど)でしたので1mか2mで水が出たわけです。江戸時代では10m位だったと考えられます。一例で、地下鉄東西線が出来た時、御池通り、姉小路(あねやこうじ)通り、烏丸(からすま)通り一帯の井戸が涸れてしまい、掘り直しをされたと言う事で調査したところ、七件の井戸の水を飲み比べてみましたが、二つとして同じ味の水はございませんでした。すぐ隣に掘られた井戸でも水の味は違いました。と言う事はそれぞれの井戸によってみな水脈が違うわけです。
 何が違うかといえば深さが違うのです。地下水は一寸した工事でも、地下鉄やビルの工事でも、それによって水脈は迂回(うかい)して方向が変わります。すぐ隣でも同じ深さの水脈からの水は出ないという難しい問題がございます。本来地下水は深く掘れば何処でも水は出ます。嵐山で今温泉が掘られていますが、日本全国で地下1200mから1500mも掘れば何処でも温泉は出る、という話もございますが、蚕ノ社は井戸水ではなく湧き水であると言う事が大事なので、唯の地下水なら森に井戸を掘ればよいわけです。
 湧き水として復活させるというところに意義があり難しさがあるのです。浅い地層にある地下水脈が何処(どこ)から来ているのか、しっかりと調査し、考えないといけません。蚕ノ社の場合は地層が崩(くず)れている訳ではないので、手前の下水道工事の影響なのか、周辺の透水性が悪くなった為か、あるいは天神川の改修によって掘り下げられ、三面張りになったことで、伏流水が無くなった事も関係しているのではないか、しっかり考えてみる必要があるのではないでしょうか。下水道工事の影響ばかりではないと思います。蚕ノ社の池の水脈に近い所に水を戻してやれば、水脈は戻るだろうという考えは出来ます。そうであれば湧き水は復活するだろうと思います。

●大窪  深く掘るだけで地下水は出る、蚕ノ社は湧き水であるから、浅い層の水脈が何処から来ているのか見極めることが重要で、そこに給水することによって湧き水が復活する可能性があるのではないだろうか、という御指摘を頂きました。水を地下に圧送する、この考え方に添って先程植田さんの方から圧水方式を提案され、具体的に調査もしておられるようですが、実行していく上で、どのあたりに課題があるでしょうか。

●植田  私達は水のことに関しては皆、素人(しろうと)ですし、殆んど何の知識もありませんでした。そんな中で勉強していく上で色々と問題のあることがわか解りました。湧き水と言う事になりますと厚生労働省と環境省の管轄(かんかつ)ですし、農業用水となれば農林水産省、河川については国土交通賞の管轄、と非常に行政が縦割化(たてわりか)しております。
 農業用水には水利権があり、お聞きしたところ、それを火災の時、水利組合の許可が無ければ消火に使うことも出来ない、といった非常に強い権限があるようです。それにはそれなりの歴史的経緯もあるわけですが、そのように非常に複雑な行政上の課題があり、それは私達では解決できかねる問題ですが、私が申し上げました圧水という方法は先程、松井さんの言われました、水路を見極めると言う事にもつながりますが、要するに呼び水ですね、手押しポンプを使われた方はお解かり戴けると思いますが、水が出なくなればポンプの上から水を差して、呼び水をして水を出したというような経験をお持ちと思いますが、地下水も汲み上げなければ涸れてしまいます。汲み上げれば又水が出ると言う事です。元々、木嶋神社と言う所は洪積層(こうせきそう)から沖積層(ちゅうせきそう)に移る扇状地(せんじょうち)の先端部(せんたんぶ)でございまして、地理的にも地質的にも非常に地下水の湧き出る条件のととの整った所なのです。そこに呼び水をすれば十分に復元する可能性はあると、そういう事を含めて圧水方式を提案しているわけでございまして、これは先程佐藤さんのおっしゃいましたように防災水利構想という事で、これが神様の為と言う事であれば、お叱(しか)りを受けるムキもあろうかと存じますが、環境を護ると言う事と、防災と言う事になれば、災害時に飲料水とすればどれだけ多くの尊(とうと)い命が救われるか、又消火用水としても大変な力になるのではないか。と言う事で私達は、今、会場にもチラホラお見受け頂けると思いますが、丸に東の印が入った法被(はっぴ)を着ている方が何人か見えると思いますが、これは森ヶ東町の「まつり実行委員会」の法被なのです。面白おかしくて着ているわけでも、嬉(うれ)しくて着ているわけでもございません。これは阪神淡路大震災のような災害時に、非難誘導(ひなんゆうどう)の目印になるだろう、と言う事で町内の青壮年(あおそうねん)の若い人達が一番に外に出て、町内の人を避難誘導したり、迷い子になった子供たちにも良くわかるように、この法被を作りました。これが実際どれ程役に立つかは解りませんし、又解らない方が良いのですが、腰に巻いた紐帯(ひもおび)も必要以上に長くしてあります。骨折時の添(そ)え木を固定する時、包帯(ほうたい)として使用したり、物を支えるのに使えるようにしてあります。 そういう、私達が身近に出来る防災から一つ一つ始めております。
 その結果から水があればもっといいじゃないかと言う事から、水利構想に参加させて頂いている訳でございます。そんなことはとてもムリじゃないか、と言う事ではなしに、長嶋監督の脳梗塞(のうこうそく)ではありませんが、リハビリをすれば治(なお)るんじゃないか、簡単に言えば一寸した工夫で水が出る状態だと言う事です。昨年、神社の境内に100tの防火水槽が埋設されましたが、その工事の時、地下7m位まで良質な砂礫層があり、そこから地下水がコンコンと湧いていることが判りました。未だ完全な梗塞状態(こうそくじょうたい)ではなく、今適切な治療をして、リハビリをすれば元の健康な体に戻るのじゃないか、今ここで一寸呼び水を入れてやれば、また水脈が戻って来るんではないかと考えて居る訳ですが、何しろ素人考えですので色々とさくご錯誤はあろうかと思いますが、又、各方面からのご指導を受けながらやって行きたいと思っております。

●大窪 有難うございました。地域の伝統を守るだけでなく、地域の防災と水環境を含めて考えて、「呼び水」という提案をして、それと取り組んでおられると言う事です。課題としては何所から水を引くかと言う事になると、行政上の難しい問題があるということです。
 それでは佐藤さんの方から、実際に環境防災水利構想研究会の組織の中で、タテワリ行政の弊害(へいがい)と取り組んで居られるということですので、そのあたりからお話を伺えればと思います。

●佐藤 環境防災水利整備構想なんですが、役所の組織を説明しますと、消防局が予算を取って、その予算で例えば川に近づけるようにように工夫しましょう、と言う事ではなしに総合行政(そうごうぎょうせい)と言う事で市全体として進めようと言う事です。 具体的に申しますと、建設局というところがありますが、河川改修や公園の整備、道路舗装などをするのですが、その際、河川改修をするときに普段から水に近づけなければ水利構想は成り立ちませんので、水に近づけるようにして下さいと、例えば三面張りの川をコンクリートで囲うのではなしに、側壁(そくへき)に階段を作って水面に近付けるようにしておくと、いざと言う時にバケツリレーで初期消火の消化火用水として利用出来るようにしたり、公園の整備をするときは井戸を掘って、普段は子供達の水遊びの、水辺空間(みずべくうかん)として親水の環境としておき、いざと言う時に消火用や飲料水として用いるようにする等、体制としては防災水利構想の中に各局の方に集まって頂き、各局の事業の中に防災水利というしてん視点を入れて総合行政として防災水利整備計画の中に取り込んで計画して頂くよう努めているところでございます。
 行政にはタテワリの弊害があるじゃないかとの御指摘がありましたが、確かにそれはあります。残念ながら、・・ そういう事をきょくりょく極力無くして、総合的に、横断的に、全市的、総合行政的考えの元に呼びかけをしているところです。 勿論、庁内でも、そういった事への理解も進んでおり、うちの局では防災に対してこんな事が出来るヨ、等の提案も戴けております。何とかこういう計画の中で防災水利整備構想を進めて参りたいと思っております。

●大窪 有難うございました。従来型ではなく水の再生の問題については様々な目的と、様々な価値メリットが実は多重的に含まれていると言う事でございまして、それをカバー(補足)する為に総合行政というような形で、行政の方からも積極的に取り組みを進められていると言うお話を伺いました。 今までのお話をそれぞれに綜合致しますと、元々は地域と水の関わりを再生していく事が一つの大きな目的ではないのか、目的があればそれを達成する為の方法があるのは当然ですが、その目的として先程神服さんからお話のありました神事のこととか、今、植田さん達が取り組んでおられる、地域のお祭りの活性化であるとかの伝統文化的な目的と、もう一つ、現代的な意味で、地域環境の再生と、教育、自然のせいたい生態けい系や環境教育をさらに広げて行くと、当然まちづく街作りにもつな繋がる。中でも心の安らぐ地域として、防災への大きな意味もあり、それらを見ていくだけで湧き水を復活させることが、実は多重的(たじゅうてき)なメリットがあるのだと言う事、どういう形でメリットがあるのかと言う事をどんどんアピールしていくべきではないか、例えば一つの防災の為だけ、又は伝統文化を守る為だけでなく、それぞれが複合化していくことによって、大きな発言力になり、物を動かす大きなエネルギーにもなっていくわけで、今回のパネルディスカッションによって、その様々なメリットを発見していく為の手掛かりキーワードを拾うことが出来たかなぁと思っております。これから先も、そのメリットについて、どんどん積極的にアピールして行く事が非常に重要なのではないかと思います。
 目的は色々挙(あ)げる事が出来るに致しましても、もう一つの問題はそれを具体化していく方策になっていくと思います。その中で、湧き水を復活させること一つに絞(しぼ)って考えてみましても、地下水の涵養(かんよう)、そして水源と思われるところへ効果的に水を供給することが重要でありますが、一つの課題としては、実際、地下水脈がどうなっているのか判別することは非常に難しい事で、具体的にどのポイントにどういう外科手術(げかしゅじゅつ)をすれば、元の健康な状態に戻れるのか、これは地面の下の話ですので、専門家のにお話をお聞きしても非常に難しい事であると言う事でございました。
 何らかの形で、私たちの頭の上からは平等に雨が降っているわけですが、それがアスファルトの舗装など、様々な生活基盤インフラの整備によって、水が地下に浸透しない環境になっている訳で、どこがツボであるのか判らない以上、なるべく出来るところで全て、水が地下に浸透する環境を造っていくのが最も効果的な方法ではないかと個人的には思っております。そうしていかないと、先程神服さんからのお話にもありましたように、人工的に水を出すと言う事になりますと、大変なエネルギーと経費を使わなければならない。そして植田さん達が試みられている、圧送方式にしても何らかの方法で圧力をかけて水を地下に注入する訳ですが、効果的に注入する為には何処がツボなのかを発見しなければならない、大変難しい課題があるというお話を伺いました。むしろ私、この地域を歩かせていただいて気が付いた事なんですが、農業用水路という形で、かなりの水路が残っておりまして、先程のご紹介にありましたように確かにその殆んどが暗渠化(あんきょか)しております。
 暗渠化はしておりますがその流水量(りゅうすいりょう)を計測致しますと、実は年間を通してかなりの水量の水が流れていることがわか解って参りました。水路に水は流れ込んでいるのですが、問題は用水路が三面張りであるため、水が地下に浸透しないのと、普段から人目につかない所を流れている為、ゴミが詰まっていても、何が詰まっていても全く判らないという二つの大きな課題があります。
 先ず地下水を涵養していく、そしてどういう方法かは専門家でございませんので難しいのですが、極力、場所によっては積極的に地下に浸透させて行く事によって、ツボが判らない以上、地域全体をツボと考えて、一つの給水系(きゅうすいけい)を再生していくという方法があるのかなぁ、と思っております。それを通じて地域の方がその水を使っていくと言う事が、水が大事にされて、長く、持続的(じぞくてき)にその水が次の世代につな繋がっていくわけですが、やはり水は見えない所を勝手に流れていたのでは意味が無いので、やはり開渠(かいきょ)にするなり、人が水辺に安全に近付けるような環境を造る事によって、人と水との関係を積極的に再生すると言う事が、地域の将来の為の地下水の涵養という大きなテーマにも結びつくことになるのではないかと感じました。
 チョットしゃべ喋りすぎてしまいましたが、それでは会場にお出での方からのご質問があれば、お二方(ふたかた)程お受けしたいと思います。どなたか質問のある方は挙手(きょしゅ)にてお願いいたします。

●会場  神服先生に伺います。下鴨神社に聞かないと判らないのですが、足あらいの行事にはいずみがわ泉川の水が使われると聞いております。蚕ノ社との関係が判れば教えて頂きたいのですが、

●神服  下鴨神社の、いわゆる糺ノ池の足つけの行事と、木嶋神社の水の使い方の事ですか? 水の使い方と申しますと・・・?

●会場  蚕ノ社は湧き水ですが、下鴨神社は松ヶ崎から流れてくる用水を使っていると思いますが。

●神服  確かに下鴨神社の周辺はかなりの水が流れております。私の聞いておりますところでは、やはり井戸からポンプで汲み上げた水を流しておられると聞いております。これは下鴨神社の場合は当然、年中糺ノ池として水を流しておられます。木嶋神社につきましては、先程来のお話にもございましたように、湧き水が完全にこかつ涸渇しておりますので、必要な神事、土用の丑の日等にあわせて、ポンプで水を汲み上げて流しております。

●松井  糺ノ池、下鴨神社の水ですが、井戸を掘った時にも見に行きましたので御報告させていただきますと、下鴨神社の湧き水は随分以前に無くなっております。 井戸を掘って水を汲み上げ、その水をみたらしの池の方に引き込んでおります。その井戸も駄目になり、去年もう一度井戸を掘り直されました。以前は湧き水で泉川の方に流れるようにしてあった訳ですが、それもままならないようになり、みたらし池に流し込んでいた水を、泉川の方にも流し込むという形になっております。

●大窪  よろしかったでしょうか?  では、もうお一方(ひとかた)質問をお受けしたいと思います。

●会場 消防局の佐藤さんにお伺いしたいのですが、私はこの学区ではなく、右京区の京都学園の前に住まいしております。聞くところによると大阪では大きな地下施設を作って雨水を逃がさずに溜めてプールしておくと言う事が行われているそうですが、今、地下に水を掘り込むということを言っておられますが、京都では公共施設など大きな建物の上に雨水をた溜めるようなことは出来ないものでしょうか、雨は地上に均等に降ってきます。木嶋神社だけでなしに、付近の大きな建物や公共施設に雨を集める漏斗(じょうご)のような設備を作って雨水を活用することを考えられないものでしょうか。

●佐藤 おっしゃる通り防災にはあらゆる水を活用していくべきだと思います。
 今日は地下水と湧き水がテーマですので、地下水の話が中心になりましたけれども、言われるとおり雨水を溜めて活用することは非常に大切なことだと思います。雨は均等にふ降ります。何処でも得られると言う事は、何処でも溜められると言う事ですから、言われる通り、雨水を溜めると言う事は防災水利構想の中でもその手法を含めて検討しているところで、実際に委員会でも雨水の活用と整備、手法(しゅほう)を専門にしている方にも参加いただいて、雨水の活用方法を研究しております。皆様の方でも雨水を出来るだけ身近に溜めておくといった事をしていただきたいと思います。公共の施設でも雨水を貯水出来る庁舎施設(ちょうしゃしせつ)がいくつか出来ております。先程も申し上げました総合行政という形で、京都市には多くの部局があり、いろんな分野をそれぞれに所轄(しょかつ)しておりますが、例えば保健福祉局など、所轄する局に対しては新しく施設を造るときは雨水を貯水する施設を併設(へいせつ)して頂くようお願いしているところです。基本的に雨水は大切な資源だという考えでおります。

●松井  地下水の涸れている所に水を入れようというのを、地下水の涵養といっておりますが、雨水も森とか人の歩く道は良いのですが、近頃アスファルトの舗装道路を透水性のある舗装にして、それを涵養しようという試みがなされておりますが、道路には重金属汚染(じゅうきんぞくおせん)、タイヤの粉塵(ふんじん)や排気ガスの微粒子(びりゅうし)による汚染が進んでいて、道路の側溝(そっこう)にある汚水層(おすいそう)をみると真っ黒な水が溜まっています。それをみんな地中へ浸み込ませるわけにはいきません。雨水利用も良く考えないと、全部、どこにでも浸透させると、これは地下水汚染の原因となります。
 屋根の上でも、空中でもダイオキシン等の汚染物質があるので、雨水をそのまま飲み水に出来るかというと、中々そういう事にはならないのです。
 現在私は御室地区で「防災環境水地図マップ」を作っておりまして、今、調査結果を集計中なのですが、御室には非常に面白い現象がございます。木嶋神社さんにはお気の毒なのですが、御室の妙心寺、40近いお寺があるのですが、その一つ一つの塔頭(たっちゅう)に三つから四つの井戸がございます。お墓の水、庭の水、池に引く水、等色々と用途はあるのですが、それらの井戸の状態を見ると、水位が上から1mの所にあります。京都の町の中にもこんな珍しい井戸はございません。これは是非とも大切にしていかなければなりません。
 妙心寺は北側が山で、竜安寺の北の山からの雨水が浸みて出てきた所が丁度さんろく山麓にある妙心寺であるということだと思います。その近辺にある住宅地の井戸でも、のぞけば直ぐ水面が見えるといった状態で、私も感激しております。京都でも珍しい地域であると思います。 山の上や妙心寺全体には、舗装がされておりません。雨水がドンドン地下に浸み込んで、雨水をはじかなければ、水はチャンと出てくると言うことが今回の調査で判りました。やはり水を浸み込ませると言う事が大事な事だと思います。しかし、水位の浅い水には大腸菌による汚染で飲めないと言う事もありますので、水質はこれから調べていかなければならないと思います。ご参考までに。

●会場 佐藤さんにお伺いしたいのですが、昨年か一昨年かに、堀川の水を堀川通りの川の底かどこか、違う所に流されている、それを元のように、友禅洗いが出来るように上のほうを流すというような計画がある、と言うことを以前に聞いた事があるのですが、どうなっているのでしょうか。

●佐藤 堀川の水辺(みずべ)再生(さいせい)事業(じぎょう)の事だと思いますが、今は流れておりませんが、川の流れを復活させるという事業、計画が進められております。具体的には、来年度、設計に入るようになっております。この件につきましては大窪先生の方がおくわ詳しいので、大窪先生の方からお願いしたいと思います。

●大窪 平成22年の完成を予定しておられるようで、紫明(しめい)通りを介(かい)して、第二疎水(そすい)の水を堀川に流して、二条城の外堀を浚渫(しゅんせつ)して、そこにきれいな水を流し、最終的には西高瀬川(にしたかせがわ)の方へ水を流すという一つの国の事業ですが、中々旨く進んでいないように聞いておりますが、それらと絡(から)めて、防災水利構想と致しましても実現することを期待しているところです。

●佐藤  これはスケジュール(予定表)ですので、多少のズレはあるかも知れませんが、事業としては確実に進んでいくと思っております。

●大窪  有難うございました。すみません、司会の不手際(ふてぎわ)で時間も大分、押してきたのですけれども、今日は4人の方に様々なお話を頂き、会場の方からもご質問やご提案を頂いたのですが、今日発表頂いた、神服様、植田様、松井様、佐藤様、この方達が湧き水を復活させるという、大きな事業に取り組み、努力しておられる訳ですが、この方達だけでこのような事業は進みません。原動力となるのは、むしろ会場におられる市民の皆様一人一人の意識ではないかなぁと私は思います。例えばアスファルトの舗装を減らしていきましょうとか、うちの井戸水は涸れているが、積極的に使っていくことによって、呼び水にならないかなぁとか、市民一人一人の方が気が付くだけで、明日からでも出来るような、水に関わる、水とのコネクションの取り方は様々あると思います。この大きな、湧き水を再生していくという考え方に賛同しておられる市民の方が、最終的には湧き水の復活につな繋がって行くのでしょうけれども、その為にもま先ず、身近にある自然の水をどういうふうに積極的に使っていくか、うちの井戸は眠っているけれども、最近使っていないがまあ靴でも洗ってみようかとか、そういう形でドンドン使って頂く事によって、地域にとっての水の重要性というのが増えていく、それがひいては、失われていた伝統的なお祭りであるとか、地域文化の再生に繋がっていく大きなムーブメント(こうどうりょく)になっていくのではないかと思います。それでここで旗を振って頂いている方々のお話に色々関わりながら、一人一人の皆様が自分で何が出来るのかを考えながら、勿論自分も考えなければいけないのですが、水の利用を積極的にやっていくと言う事を是非ともお願いしたいと思います。余り旨くまと纏まりませんでしたが、色々と具体的なお話も伺いましたので、これを期に水について今一度考えて頂くキッカケになればと思います。本日はどうも有難うございました。

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